あれから45年


  1975年の8月2日から3日にかけて、19歳の自分は、あの時の つま恋に行っていた。
日本の音楽史上に残る大イベントであったろう、『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋』徹夜での50000人コンサートである、その後に人数だけは もっと多くなってるライブイベントも数多く開催されているが、1975年という 年代に、国内では前代未聞の大イベントを成功させた業績は偉大であると 思ふ。
あらためて振り返ってみると、携帯電話もパソコンもなかった、すべてがアナログ な時代、アルバイトで貯めたお金でGuild D−50を購入したのが、その 2カ月前の6月1日。当日のかぐや姫の演奏、南こうせつがファースト・ステージ で『あの人の手紙』の1番を歌い終わったところで、同じ機種のギターを放り 投げていた!。 これは後日、ビデオでの再現を観てその事実を知ったのであり、 当日は遠方だった事も有って、肉眼で実際の放り投げシーンを確認することは できなかったが、記憶をたどれば、その他にもう一本放り投げていたのではない だろうか?アルバム『かえり道』の歌詞カードに写ってるヤマハのこうせつ モデル、その後に本人が使ってるシーンや写真を見たことがないので、放り投げて 粉砕したんじゃないかと勝手に想像している。Guildの方は丈夫だったのか、 かぐや姫のセカンドステージでもしっかり使ってましたね。

閑話休題

 静岡県のつま恋まで一緒に出掛けたメンバーは、当時一緒にかぐや姫のコピー バンドをやっていたノリヒコとササオカ、それに足利フォーク村の村長だった マチャミに、桐生の私立女子高校生3人組だったと記憶してる、他に誰かいたか? なにしろ45年も前のことなので記憶も確かではない。
出かけるにあたり、思い出したことを順番に綴って行けば、言ってはならぬと 親御さんの反対を受けていて女子高校生の自宅店舗まで、ご両親の 了解を得られるようにメンバーと説得に言った覚えがあるな。
東武伊勢崎線の足利市の駅から出発したこと、おそらく浅草行の準急電車の朝早い 時間帯に乗って出かけたのだが、まさかチケットを忘れたとかないよねと ジョークを飛ばしたところ、舘林を過ぎたあたりであたりで、ホントに忘れたと ノリヒコ、しかもメンバー全員の分を、忘れても(会場内に)入れてもらえる から平気だよとのたまうササオカ、いや、絶対に入れないからと電車を途中で 降りて川俣の駅までノリヒコの実兄に車で届けてもらったっけ。
昨夜DVDを見ながらそんな思い出話をして、ノリヒコになんか預けておいた あんたが悪いと昨日も前様に叱られましたが・・・・。
このチケット忘れ事件で現地への到着が2時間以上遅れ、けっこう後ろの方の 席になってしまったのは残念でならないが・・・、社会経験の少ない20前後の 学生と女子高校生で、新幹線と在来線をを乗り継ぎながらなんとか掛川の駅に 到着(このころは新幹線の掛川駅は存在せず、在来線のみで静岡乗り換え)、 今と違ってスマホはないからね、事前にネットで調べるなんて出来ない 時代、行き当たりばったりの適応能力が求められる当時でもありました。
掛川の駅に着いたら暑かった、下車する若者であふれて、ぞろぞろと歩いてる。 道を調べなくても、みんなと同じ方向に歩いていけば目的地へ到着できるのは わかるが、けっこう長い時間、炎天下の中、相当な距離を歩いたぞ!
今の時代だからネットで地図で調べると3km程度は歩いた様子。

 入場して・・・やはりチケットが無かったら入れなかったのは確かだった ・・・・場所を取って、開演待ち、その間に何をしていたのか記憶にない
 まだ陽も沈まない夕方の5時、前座もなくいきなり吉田拓郎の『ああ青春』で ライブは始まった。トランザムとか叫んでいたけど、当時は何のことだか わからなかった、ファーストステージのバックバンドを務めたのがトランザム だったのね。前の方まで様子を見に行ったノリヒコが言うには、拓郎太ったと。
まあたしかに、今になってビデオを観ても、20代の頃のようにスリムでは ないですね。予定よりもめちゃくちゃ早かったらしく、1時間ちょっとで吉田拓郎 のファーストステージが終了、休憩に入る。

 あたりが暗くなってきた頃、かぐや姫が『人生は流行ステップ』でファースト ステージを始める、そして興奮したこうせつさん、ラストの『あの人の手紙』で Guild D−50を放り投げたのが、ビデオに記録されていたのでした。 自分自身のあいまいな記憶のなかでは、『マキシーのために』でも放り投げてた ように思えてならないのですが・・・・?

 深夜になって拓郎のセカンドステージ、『夏休み』から始まった。ラストの 『されど私の人生』では完全にコードを間違ったし・・・・。

 Wikiによれば深夜の11時から、予定にはなかった時間調整の飛び入りで、 山本コウタローとウィークエンドがステージにあがった、コータロー、ホントに 飛び入りだったらしく石川鷹彦さんからヤマハのギターを借りての演奏、 「石川さんから借りたギター、とても音が良い!」と語ってたのが印象的。

 12時ちょっと前からかぐや姫のセカンドステージ、こんどは3人だけの演奏? 3人の演奏はわずか7曲、神田川で終わりになって、大久保君が登場して風に なっての5曲、その後は山田パンダさんがソロでギターを弾いて3曲、トリは こうせつさん、『幼い日』のリフレインが溜まらなかったですね。

 深夜3時からの拓郎のサードステージ、後ろの方の席という事も有って、半分 寝ながら聞いていたような気がします。ラストの『人間なんて』が終わったら、 会場側から「寝ていてください」のアナウンスが・・・、そして日が昇ったら 「起きろ」って。

 終わってから東京方面に帰るにあたり、掛川から静岡まで行ってこだま号に 乗るのでは座れないような感じがしたので、いったん逆方向の浜松へ向かい、 そこで上りのこだま号に乗りました。案の定、静岡では大混雑、浜松から乗って 正解でした〜。
半分徹夜状態だから頭もボケボケ、居眠りしながらの乗り換えで帰ってきたので、 帰り道の記憶はほとんどございませぬ。
今から45年前の出来事ですから、正確に覚えてるはずも無いですけどね。


細かいことは下記のURLからWikipediaをご参照ください。


https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田拓郎・かぐや姫_コンサート_インつま恋


2020.8.3 記


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