音楽的許容格差


 某施設を見学した後で、そこの開設の元となったお金持ちの話題となり、日本でも 昔のブルジョワは書道でも陶器でも音楽でも、それなりに格調高い文化や芸術性を 持って取り組んでいたんだな〜と・・・・・。
しかしながら高い文化水準を保つという事は、 まずはお金があっての余裕であり、自身の技術や教養を高めるための習得・学習には 時間とお金がかかる、という事は、食ってるだけが精いっぱいの一般的な庶民には 出来ない所業と言えないことも無いか?
たとえば、クラシック音楽に精通してるような方は、少なくても金銭的にも精神的 にもリッチである。
なぜなら、クラシック音楽をキチンと演奏するにあたっては、それなりの資産と 余裕がないと取り掛かれない。
オーケストラで演奏するとなれば、専門の学校に通い、師に付いて音楽を習って、 ある程度は高価な楽器を持っていなければ、まず始まらないだろう。
つまりクラシックはお金持ちの音楽?
確かにその発祥はヨーロッパの貴族社会であり、ズラをかぶって着飾って踊って たし、仮面をつける事もあった。
今でこそ庶民でもクラシック音楽を楽しめるが、昔は高貴な方たちの音楽、では その反対の位置にある、労働者階級で金銭的余裕のない方たちの音楽は・・・、 ブルースか?
あるいはそれが発展していったジャズか?
現代ではいろいろな音楽がクロスオーバーしてるので、演奏者としてジャンル分けは 難しいかもしれないけど、昔のように、ど・ブルースとか言えるような泥臭い 単純な音楽が、少なくなったようにも感じられなくも・・・・?

 では昔の日本では、どうだったんでしょ?
古くは、歌舞伎、能はお金持ちの趣向、狂言や芝居は庶民?
もっと貧しかった、昔の言葉で言う『水飲み百姓』は盆踊りか?
身分格差があった大昔は、その地域の統治者がうんと言わなければ祭りも開けな かったけど、統治するにあたり庶民のガス抜き、ストレス解消で、定期的に祭りを 開催したんじゃないかと思ったりもします。
盆踊りのお囃子や小唄が庶民の音楽だった?


 男女格差も身分格差も建前上は無くなった世界で長い事生きてきて、庶民であっても クラシック音楽に触れる機会が増え、それなりに高級と言えるオーディオ装置で、 世界の一流と言われる演奏家が発表した音源を聴き続けて、しっかりと耳が肥えた 前様、アマチュアの音楽家がライブで演奏した録音を聴かせると、嫌な顔をして ダメ出しをします。
素人さんの演奏なんだから、多少のミスや失敗があっても・・・・ってのが、 許せないのでしょうね。
ある意味、潔癖症なのかも?
その昔、夫婦で友人宅へ行ってレコードを聴かせてもらって、「ねえねえ、出て来る 音がいつも家で聴いてり音と違う、どこか壊れてるんじゃないの、治してあげなよ」 と、真顔でのたまったこともあったのでした。


2024. 5.19 記


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