PAOとポプコン


 学生時代、最初に結成したバンド仲間と決別し、その後に高校時代の同級生Mと 二人で再び活動を始めた。Mの学生仲間でパーカッションができるKを誘い、 アコースティックギター2本とパーカッションという組み合わせで、 最初の頃は3人でよくステージを行なっていた。Mの下宿先で真夜中に大騒ぎを して、隣近所からよく叱られたものである。f^_^; イヤァ〜
Mの口癖からグループ名をパオ(PAO)と名づけた。
PAOは自分がいなくても、MやKの学生仲間を加えて独自に活動するように なっていった。Mは高校時代の同級生ではあるが、浪人して留年してと学生生活を こよなく愛していたので、年を越えて友人の幅が広いのである。(^_-)
自分が就職した後も、ベースにギターにドラムス、女性ボーカルと、都合の付く メンバーを学生仲間から集めては活動していた。そんな活動方針から、バンド名は PAOファミリーとなっていた。

 仕事に就いて半年も過ぎた頃、Mが自宅にやってきた。
Kのオリジナル曲でポプコンに応募したら予選を通過し、関東甲信越大会も通って つま恋の本選会に出るのだと言う!
それはめでたい!オリジナル曲の完成直後から自分もアレンジに参加した曲だし、 何度かステージでいっしょに演奏した曲だった。
スタジオでデモテープを作るので、ギターを貸してくれとのたまうので、 Guild D−50を貸し出しした。

 後日ギターを返却に、今度はMがKまで連れて二人してやってきた。
「で、今日は二人してなんやねん?」
「ギターのNの代わりに、本選会に出てくれ!」
「Y( _ )Y エッ!・・・・な、なんで?」
と会話が続いた。
彼らの説明を聞くと、本選会への出場者はヤマハのクリニックというのを 受けるらしい。地区予選までは出演者まかせだったが、本番ではディレクター、 アレンジャーが付き、場合によってはオーケストラをバックにつけるので、 そのアレンジまで検討され、出場者にもある程度の要求がなされるらしい。
目黒にあるスタジオでデモテープを作成したが、その時にギター担当のNが 音楽ディレクターからボロクソに言われ、すっかり自信を無くしてしまったとのこと。
デモテープの演奏においてもNの演奏は採用されず、MがGuild D−50を オーバーダビングして済ませたとの話。(~_~;)
そこで、初代の担当だった当方に参加要請に来たと言う。

 Nは彼らの大学の後輩で、彼にその曲の弾き方を伝授した訳でもなく、 昔の演奏テープから小生のパートをコピーして弾いていたそうだが、経験が たりなかったのか,弱気なのか・・・?(- .-)ヾ ポリポリ

 てな訳で、Nに成代わり、ずうずうしくもポプコン本選会に参加してきたのであった。
都内に集合して、関東甲信越代表としてバスに乗って御一行様で浜松に向かい、 三井アーバンホテルというところで前夜に一泊、日本全国からの出場者たちと 一同に集められ、中華料理を食べながら前夜祭?(^^ゞ
酔っぱらった全国の猛者達はすでにエントリー曲を替え歌に!
「♪モンデ、モンデ、モンデ、モンデ・・・・、マワシテ、マワシテ、マワシテ、マワ〜スゥ〜」 などと歌い出す輩も・・・・(゜゜;)\(^^;)コラコラ

 ホテルに戻り担当のディレクターさんとおしゃべり!
彼が言うには、君らの普段の言動とエントリー曲の繊細なイメージが合わないと!
じゃあ・・・・ということで「キャバソン」を聞かせたら、腹を抱えて笑い転げ、充分に納得 できたと言うので、本選会でこの歌に代えても良いかと問うたら、俺のクビが飛ぶから、 それだけは止めてくれと・・・・!(-_-;)


 そして、そして、翌日の本選会、出演者一同は楽屋に集められ、Aの音は441Hzでいくと説明を受ける。
そこにおいてあるピアノがその調律になってるから、それに合わせるようにと!
Guild D−55とブルーベルのW−2000を持ってるデュオがいる、チャゲ&飛鳥だ。 他にも後日の有名どころ、クリスタル・キング、石川優子、大友裕子 etc がずらりと居並ぶ・・・・(^o^; ほえ~
PAOファミリーの応募曲は 「家主紹介」でアップしてあるが、 つま恋の半分屋外ステージとも呼べる、明るい雰囲気にはあまり向かない曲のようだ。観客の数は 約5000人、やはりここでは、「飛んで、飛んで、飛んで・・・・・」が一番目立つ!(^^ゞ
静かな失恋ソングをギターだけで淡々と唄ってもインパクトは弱いぞ。
当然のようにPAOファミリーは何の賞も採れず、参加賞だけもらって帰路についたのだった。(^^ゞ


 帰り道でバスが故障し都内に着いた時はすでに午前様、もう田舎に向かう 最終電車はなく、ディレクターの計らいで、スポンサー持ちにて タクシーで深夜3時に帰宅。(^^ゞ カキカキ
 親しくなった関東代表の中に入賞を果した連中もいたが、売らんが為の ボーカル引き抜きでバンドは解散したと、風の便りで聞いた。(~_~;)
大舞台の経験ですっかり自信をつけたPAOファミリー、次回も応募してしっかり予選の通過を 果したが、あくまでもアマチュアの趣味としてメンバー達を大事にしたかったと、 MとKの意志で本選会への出場は辞退したそうな。


蛇足であるが、現在Mは某県警で博士、Kは中国で社長の職に付いている。(^^;;)


2004.10.18  記

2004.10.19 追記


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