音楽的才能


 音を楽しむと書いて『音楽』という熟語が出来る。
文字通り、音を出して楽しむことだと思う。
自分はギターの演奏などまったく上手くない、どちらかといえば下手くそ!(~_~;)
しかし、Eコードをジャラ〜ンと弾いただけでも、良い楽器の音は癒してくれる。
下手くそなりに弾いて、音痴なりに歌っても、また楽しい、それも音楽である。
一人で唄っても楽しいし、ましてや気心の知れた方と共演したり、その方たちの 演奏を聴くのも楽しい。上手くても下手くそでもどうでも良い、音楽してるのが好き!

 自分の演奏で何か伝えようとか、志を表現しようなどとは思わない。
音楽を演奏して、そこで感情やメッセージを明確に伝える事は簡単ではない。
その才能が自分には無いのも周知している。もしそんな能力を持っていたとしたら、 とっくの昔に開花していたであろう。今までの人生でもそれなりの チャンスは何度もあったはずだ・・・・?
素人演奏家が音楽で何かを表現できる、伝えられるなどと思い込むのは勝手だが・・・。
より完璧な表現等を求めるなら、その才能のある人に任せておけば良い。恵まれた才能の ある人に凡人は勝ることはないし、こればかりは持って生まれる物でもある。
おそらく20代までで、それまでかかわって来たにもかかわらず開花していない 凡庸な才能は、それ以後にブレイクすることはないだろう。
どんなに好きなことであってもそうだ、人にも旬というものがある。
みずみずしい感性の時期がある。ビートルズ等のスーパースター達はすでに10代から 20代で光っていた。

 音楽を表現できる才能が無いからと気にする事はない。
自分で表現できなくても、表現できる人の演奏を聞けばよいのである。
自分にはその才能がなくても、代わりに他の才能があるはずだ。それを 探せばよい、今までにまだトライしていないことも沢山あるはずだ。

 音楽的才能のある人間の演奏は、聴く者を引き付ける。
楽譜があって、正確にその通りに弾いても感動は無い。楽譜通りに弾くなら 自動演奏装置の方が絶対に正確であるが、それを聴いて感動を覚えることはない。
単純に言えばそっけない演奏で終わる。
楽譜が読めて所見でその通りに弾けるピアノの先生のジョージ・ウインストンよりも、 その生徒である子供が数多くレコード等でその演奏を聴いて、それを真似して感情を 込めて弾く演奏の方が魅力的である。
故本田美奈子さんのアメイジング・グレイス、入院中に病棟でアカペラで 唄っただけであるが、それを聞いた医者も看護師も感動せずにはいられなかった と話す。

 自分にとって一番嫌悪を感じるのは、自己満足だけのオリジナル曲主義である。
多くの人達が聴いて、何人かの人から賛辞を受けるような曲でもあれば良いが、 作った御本人の自己満足のみで、音楽業界のディレクターが聞いたら即座に「ボツ!」と 言いそうな、才能の微塵も感じられないかったるい曲を延々と聴かされたらたまった ものではない。
また、そんな輩に限って勘違いの屁理屈をのたまうものでもある。
ヒットした曲というのは、大勢の人に指示されたからヒットしたのであって、 ヒットしないという事は支持されないといことでもある。
つまらないオリジナルを聴かされるなら、カバー曲を演奏してもらった方が よほど良い。少なくても曲は良いということを、誰もが認めた実績があるのだから・・・。
聞き手側も楽しめなければ『音楽』ではない。
理屈はいらない、黙って聴いて感動できれば良い。それが自分にとって最も重要だ。
そんな音楽を聴いてみたい、楽しみたいと思ってるのだが・・・(^^ゞ


2006.5.10 記


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