10月4日


 21年前の今日、前様は早朝からタクシーに乗って出かけました。
行き先は自分の勤務する病院、ただし、勤務に着くためではなくて、大きな お腹をして・・・・・・(^o^)
そう、陣痛が始まったのであわててタクシーを呼んで飛び乗ったのです。
旦那は出勤予定だったので送りもせずにそのまま自分の勤務先へ・・・・・。
痛くて「う〜ん・・・」と言って後部座席でうずくまると、運転手さんから、 「ここでだけは生まないで下さい!」と励まされ?、かっ飛んで病院まで 走ってくれたそうです。
辿り着くと陣痛は収まり、そのまま待機となったそうな・・・・。

 お昼近くだったかな・・・?会社でお仕事をしてると前様本人から 「女の子が生まれた!」と電話がありました。:*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*:
この頃はまだ携帯電話などなかった時代なので、 産科の婦長さんがベッドの側まで電話機を持ってきてくれたそうです。
長女が生まれてすぐに、担当していた看護婦さんが分娩室を出て、 「山田さんのご家族の方〜・・・・・・」と叫んだそうですが、「シーン・・・・」として いたそうで・・・・、このとき、家族は誰も付き添ってなかったのです。(~-~;)ヾ(-_-;) オイオイ
まあ地元最大手の完全看護の病院なので、心配はしてなかったのですが・・・・。
「出産てこんなに痛かったんですね・・・・」と婦長さんに泣き言を言ったとか 言わなかったとか。

 当事者は当日まで男か女かどっちが生まれるか判らなかったのですが、 前様が勤務していた病棟で霊視能力のある末期がん患者がいらして、 本人もまだ妊娠したと気づかない段階で、「女の子が生まれるよ、天真爛漫な 子だよ、名前は○○と付けると良いよ」と、紙に書いて渡されたそうな!Y( _ )Y エッ!
さらに、お腹が大きくなってきて、「この子に影響を与えちゃいけないから、前様が 勤務していない時に、あたしゃ〜他界するよ!」と言い残して、本当に前様が 非番の時に逝ってしまわれたそうです。〜(m~o~)m
そんな訳で、無条件に何の検討も無く、名前は○○と付けられました。
改めて、この名前の字画等をそれなりの方に診てもらったところ、子供にとって 最高に良い名前だと言われて二度ビックリです。f(^^;) ポリポリ

 生まれて間もなく、妊娠中に牛乳を過度に摂取していたことから、子供が アトピー性皮膚炎を患ってるのが判り、母乳を与える前様と娘の苦しい 食事制限が始まりました。
まだまだアトピーなどという病名は一般的でなく、食事制限などとんでもないと 一喝するする人も多くおり、世間一般に理解を得られなくて大変でした。いつでも 先駆者で、先頭に立って獅子奮迅する前様です。(~_~;)
卵、牛肉、牛乳、大豆と、素材食品は元より、これらが形を変えて添加されている、 ケーキ類、クッキーやビスケット、ヨーグルト、プリン、豆腐、お稲荷さん、ハンバーガー、 チョコレートと多くのお菓子や食品も食べられないので、食べ盛りの子供には とても辛い食事制限です。
お菓子一つを買うにしても、袋にある成分表を確認しなければなりません。
幸いにも蕎麦アレルギーは無いので食べられましたが、うっかり卵白が お汁に含まれてたりすると、食べてるそばから口元に湿疹が現れたりします。
娘もよくわかったもので、○○ちゃんはこれ食べられない・・・と、けなげにもチョコレート などを食べようとしません。そんな親娘に脅威の天敵は同居の爺でした。
何を言っても立て板に水で、孫が望む望まないに関係なく、近所のスーパーで娘が 食べてはいけないようなお菓子を買ってきては、御機嫌取りに与えてしまうのです。
とりあえず体に合わないものを摂取すると手足に発疹が出るので、娘に食べた物を 尋ねると「おじいちゃんとこでプリンを食べた・・・・」などと答えます。凸(-_-メ)
発疹だけで済むなら外用薬を塗れば良いのでしょうけど、症状が進行すると いらいらから情緒不安定となり、最悪は喘息にまで至りますので、厳しく 爺を叱るしかありません。まあ、何を聞いても理解しないので、馬の耳に念仏状態で 改善はされませでしたけど・・・・(>_<)

 そんな娘も順調に育って・・・、すこし卑屈な考え方をしますが、小学校、中学校と 進みました。ピアノ教室へ連れて行って、機嫌を損ねるとマンツーマン授業の30分間、 ただひたすら石になって、なにもしないこともありました。意思は強いようです。(~_~メ)
習字が得意で、県単位の書初め展で金賞をもらったり、勉強は出来ないけど よく賞状をもらうと、同級生達から評判の娘でした。
3kmほど離れた 田んぼの中の中学校に自転車で通っていたのですが、2年、3年と進むに連れて 登校拒否気味になって行きました。朝、起こしても目覚めません。学校の成績は地の底を 這うような、超低空で飛びつづける曲芸飛行機のようです。(~_~メ)
先生には逆らい放題で言うことをきかず、おそらく影ではタバコを吸っていたのでしょう。
暴力問題を起こして学校から呼び出されたこともありました。(´ヘ`;) ハァ
後ろから数えた方が早い成績でも義務教育を卒業して、かろうじてど田舎にある県立の 高校へ進学してくれたので、親としてはホッと一安心したいところですが、さすがは 我家の娘、一筋縄では行きません。
まともに通ったのは1年生の時だけで、2年生になってからはほとんど学校へ行きません。 一学期の期末試験をサボり、JRの駅でタバコを吸ってるところを駅員に注意され、 それでも無視していたので通報されて警察に補導されました。(;´_`;)
学校からは謹慎処分や指導課題を受けるも無視!、まったく反省の色さえうかがえません。
プチ家出して返ってこない日も多く、最初の何回かは警察に捜索願を出しました。
近所のチェーン店系列の寿司屋さんなどでアルバイトを始め、携帯電話の 料金などは自分で払ってましたが、自暴自棄になってアルバイトを止め、払えなくなった 携帯電話の料金が一ヶ月で¥98000という時もあり、さすがに即解約です。
高校2年生の夏休みが明けてから学校へはほとんど行かず、家庭内でも バットを振り回して自分の部屋のドアを壊すなど、荒れ放題となってしまいました。(>_<)

 この頃、前様が化学物質過敏症を発症し世間一般に出られなくなり、その 症状を見て気がついた事は、躁と鬱の違いだけで、もしかして娘も同じ病気?
前様がお世話になってる主治医へ半強制的に連れて行って診断してもらったところ、

   ピンポ〜ン!でした。

 そうです、娘が荒れていた原因は化学物質過敏症!!!、主に学校周辺への 有機リン系農薬散布に起因する物でした。
たしかに思い返してみれば、娘が通った中学校、高校はまさに田んぼの中にあり、 農薬の散布は頻繁に行われてます。さらに校内の廊下や体育館の床には 有機リンの含有されたワックスがいつも塗布され、例え呼び出しがあっても前様は 学校へは行けない環境でしたので、親父の出番が多かったのです。会社を 休んで・・・・・(~_~;)
原因と理屈がわかればすぐに対応は取れますので親としても動きます。
とりあえず高校の担任を通して、化学物質過敏症について学校側へ説明し、ワックス等の 塗布は止めてもらったのですが、田んぼのど真ん中の存在だけは代えようが ありません。
謹慎処分を受けてから通っていた高校が嫌になり、市街にある定時制高校に 転入したいと言い出して、翌年の春に娘は自分の希望をかなえました。
欠席が多いので、高校は1年しか通ってなかったことになり、 定時制の2年生からの編入で、あと3年間通うことになります。はたして無事に卒業まで 辿り着けるのか?大いなる疑問も生じましたが、本人の言い出したことなので、 そっと見守ることにしました。
親としても娘の不調原因がわかったので、対応も変わってきます。またこの頃、 ヒューマンセンサーという、人の脳の使い方を測定して分析するセミナーを受け、 娘のポジションタイプを知ることになり、余計な期待や願望は消えうせ、もっとも 適したことを勝手にさせてやるのがベストだと思うようになりました。

 水商売でアルバイトをしながら、原付の免許を取ったり、中古を買ったり、 たまに通学で乗って行って大騒ぎにもなったりしましたが、親からの自立心が 強いのか、自動二輪や自動車の免許まで全て自分でまかなって取得して、なんとかかんとか、 かろうじて出席日数を満たして、無事に高校卒業まで辿り着きました。C= (-。- ) フゥッ
卒業式の日に娘が卒業証書を授与するところを一目見ようと学校に行ったの ですが、卒業生一同の中に娘の姿が見当たりません。先ほど車で 学校まで連れてきたのに・・・・(ーー;)
娘の名前は呼ばれることも無く、無事?・・・・・に卒業式は終わりましたので、 担任に尋ねたところ、気分が悪くなったとかで教室で休んでいると・・・・・ヾ(-_-;) オイオイ
最後の最後までやってくれるじゃないか、さすがは我家の長女だ!

 自分の子供とはいえ、親が一人一人ではもう太刀打ちできません。
前様との掛け合わせですから、両親を掛けた分だけ強くたくましいのです。
前様の主治医には、自分に似てるところがあるとすっかり気に入られ、大きくなったら 大化けするよと太鼓判を押されてますが、はたしてどうなるやら・・・・?
その後、オートバイの整備がしたいと言い出し、過去にはネジ回し1本使ったことが ないのに、私立の自動車整備学校へ進学しました。
年間の授業料¥1200000は自分で払うという条件で!
進学したら・・・・・、自分から勉強してるじゃないですか!(@@;)ぱちくり
試験前とはいえ、まさか娘に数学、物理、電気について教える日が来るとは 夢にも思いませんでした。しかも、眠気覚ましに親父の焼いた豆でコーヒーを 煎れてくれと要求まで出して・・・(^^ゞ


21年前に生まれた赤ん坊が、大人に育ったような気がします。
本日は、お誕生日おめでとう、我家のお嬢さま。


で、本日の夜は友人達と飲みに行くそうです。(ーー;)


2006.10.4 記


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