地上の星


♪みんなどこへ行った、見送られることも無く・・・・・

 1999年の春先、勤務先で採用しているCADシステムが新しいものに代わった。
それまでは某社のCAD専用ソフトだったものが、ウインドウズを利用した管理方法を 取り入れるようになったとか・・・・・?
そんなCADシステムの変更に伴い、システム技術者がインターネットも観られるように 設定してくれた。
それまでパソコンというものについてはまったく無知だったが、そこで初めてインターネットと いうものを知った。
知ってしまえば深みにはまっていくのがネットの世界、趣味のギターについて検索して いくつかのお気に入りを見つけ、時間があれば覗くようになった。
掲示板で交される会話が実に楽しそうに思えた。同年代のお父さん達が、 趣味の合う仲間に出会えて、いきいきと質問したり、ウンチクで答えたりしている。
上下関係も利害関係も無く、みんな好きな趣味のことだけを・・・、知らない人から見れば まったくつまらない事柄にも、それぞれがこだわりを持って接している。
楽しさに我慢しきれず、初めて投稿した。
直接書き込み方式の掲示板ではないのですぐには表示されなかったが、後日、 管理人さんが暖かいコメントを沿えて掲載してくれた・・、嬉しかった。(^o^)
これがネットデビューの始まりである。
今と違って掲示板にメールアドレスが書き込まれていても、スパムメールやウイルスメール など来ることの無かった時代だ。
自宅にはまだパソコンが無かったので、掲示板の書き込みをプリントアウトして家に 持ち帰り、pandaさん(当時は前様ではなくこのHN)に見せたこともあった。
徐々にネット上の交友が増えていった。中京の良心様のところにもお邪魔するようになり、 現在もまだ続いている。きっかけは、「PAって何の略でしょうか?」という質問が掲示板であり、 たまたま手元にAV用語辞典を持っていて、そこからの出展を書き込んだことによる。
もう8年も前の話だ。(^^ゞ

 1999年の10月、都内で楽器フェアーが開催されていた。
遠方から大御所たちがやってくる16日にあわせて自分も見学にでかけてみた。 お土産変わりにギターの年代もののカタログを持参して・・・
黒澤のMartinブースではアディロントップのD−18GEが発表されていた。 Martin4世が自分を見て笑っていた。自分のいでたちは、Martinのロゴ入り ヨットパーカーにMartinキャップ、まるで動くMartinの広告塔のようだ、これでは クリスくんも笑うだろう。(^^ゞ
大御所達と会い、カタログ資料をお渡しした。また、家主紹介に掲載してるクリスくんと並んだ ツーショットの写真、このときにシャッターを押していただいたものである。(*^o^*)
楽器フェアーの帰り道、秋葉原に立ち寄りディスクトップ・パソコンを買って返った。 なぜか送ってくれと言えず、 15Kgあるパッケージを持って電車を乗り継ぎ帰宅した、疲れた。(;´_`;) ハードダ・・

 自宅にパソコンを設置してから、趣味の世界は益々広がっていった。
2000年3月21日には自宅を使ってオフ会なる物を初めて企画して開催、Y氏@4000年の 歴史国様はこの時参加したばかりに、ず〜っと炎上を続けて・・・・・・・(^^ゞ
4月には大々的な会があるというので、まだ1歳4ヶ月の輝くんを連れて、pandaさん とのども遠方まで出かけていった。
翌日には中京地区まで遠征し、両会場でネット上でしか会話したことのなかった 大勢の皆様と実際に会い、お知り合いになった。
2000年の7月15日、15名の方を我家に招き入れオフ会を行った。人数は多くないが 全国規模の宴会である。兵庫、福井、大阪、岐阜、愛知、東京、宮城と遠方から みなさまやって来た。(^o^) 集まるギターの数も値段も半端ではなくなってくる。(〇o〇;))))!!
2000年の暮には家を改装し、翌年の7月3日にはよりパワーアップして、ゲストまでお呼びして 大宴会となった。もちろん、こちらで開催する以外に出かけることも多い。
足と交通費を使って、全国に利害関係のない世界が広がっていった。

 趣味の世界は益々ヒートアップして、ギターフェスティバルまで開催されるようになった。 遠方からもボランティアで新幹線に乗って手伝いに行く。
こんな無垢な世界がいつまでも続けば良いなと思ったのだが・・・・・
バブル経済もはじけ、やむなく転職・転勤される方も出てきた。こうなると趣味の世界だけに どっぷりとはいかないのだろう。新たに商売を始める方もいる。徐々に徐々に、 歯車が掛けていくような感じで、趣味だけの世界が疎遠になっていく。
いつしか、あれほど賑わった掲示板も書き込みがなくなり・・・・、先日覗いて見たら、 掲示板そのものも消滅して商売系統オンリーになっていた。
時は流れたのだ。


 核は無くなったが地方単位で分散されたのだろうか?
去る者もあったが、新しく知り合った方々も多い。
幸いにして当時知り合った方々の大部分と今も交流は残っている。
新旧取り混ぜて、また趣味だけのディープな世界を開催するのもまた楽しい。
みなさまの援助により2002年の10月にはホームページを開設することもでき、 アクセスカウンターも150000に達しようとしている。
自分達が楽しいと思えることを、自分達ができることを、これからも ささやかではあるが開催していこうと思う。
私は音楽使い?


2007.2.26 記


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