人格と能力


 なぜか多くの場合において、人間としての人格の良さというか品位と言うか その素晴らしさみたいなものと、その人の持つ能力の大きさ、不思議と 正比例で一致していません。
映画『アマデウス』の中で凡庸な音楽家のサリエリは、天才モーツアルトの 神々しいまでの音楽性に驚嘆しながら、その下品でデタラメな人格に嫌悪を感じる 様子が描かれてましたが、実際の世の中もけっこうそんなもんでしょう。
自分の身の回りでも、能力は高いけど人格は?と言う方、実際に何人か見てき ました。

 注意しなければならないのは、能力が高い人を、全てにおいて素晴らしい人だと 勘違いして思い込む事ではないでしょうか。
例えば、歌が物凄く上手くて感動を与えるようなメジャーな歌手がいたとして、 その歌手としての能力は非常に高いのですが、はたして人格的にはどうでしょうか?
元来メジャーな歌手になるくらいの人物であれば、カリスマ性があって、わがままで傲慢で あっても当然なのです。それを歌手以外のところでも神格化して、人間として絶対に 素晴らしいと思い込んでる方って多くないですか。?
この他にも、ありとあらゆる能力において、同様の事例がみられます。
能力が高い=素晴らしい人間じゃないんです。
作曲する能力、詩や文章を書く能力、物を作り出す能力、演奏する能力、 運動する能力、芸術を表現する能力、サイキック能力、経営する能力・・・・・・えとせとら、 これらは皆、本人の人格とは別の物でもあるんです。

 都内を走る地下鉄に毒ガス『サリン』を撒き散らした某教団、 第三者からみれば、太った髭モジャの、いかにもペテン師のような風貌や言動も、 閉鎖的なカルト宗教の中では、最も能力が高くて、人格も伴う賢者であると 擦り込まれていったのでしょう。
逮捕前後の行動やインタビューをTVで観て、人格者であると感じる人はいませんよね。
教祖として神のごとく振る舞い、その言動には誰も逆らえず、マインドコントロールに よってさらに神格化され、人として許されざる行為を犯してしまった。
彼に有った能力とは、人をひきつける、人を操る能力だったのかもしれません。

 超人的なサイキック能力が高いと評価される人でも、実は女好きのスケベで 陰に回るとどのようなモラル違反をしてるかわかりませんし、腕が良い 優秀な整形外科医であっても、その言動からどれほど患者を人間扱い せずに、医療モルモットとして観てるかわかる場合もありました。
人格と能力は必ずしも、いやほとんどの場合で一致しないんです。
あなたが、その能力に惚れ込んだ人物、本当に人格者であるかどうか もう一度冷静になって見つめてみてはいかがですか?

 もちろん能力が高くて人格的に素晴らしい方もいらっしゃると思います。 一般的にそのような方は、世界レベルのスーパースターにまで到達してる 場合が多いんじゃないでしょうか?
地方、あるいは知る人ぞ知るのオタッキーなサークルレベルで著名な 程度では、まだまだ本物ではないのかもしれません。
能力は低く人格もなく・・・・・、それは自分ですね、さらに金も名誉もなく! ゞ(^。^ゞ ソレイジョウイワナイデ〜

2007.6.1 記


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