M24


 昭和40年代、まだ小学校の高学年だった頃の出来事です。
自分の住む田舎町、歩いて数分でいける近所の小さなデパート、そこの屋外駐輪場に、 自衛隊の M24チャーフィー がやってきて、一般に公開展示されてました。

 戦車がやってきたというその事実が、どこからどうやって伝わって来たのかは 覚えていませんが、とにかくタミヤ模型で育った戦車大好きの少年時代でしたので、 即刻兄とともに見物に駆けつけました。

 今の時代では考えられないことですよね。
軽戦車とはいえ20トン近い鉄の固まりが、トレーラーで運ばれて来たんじゃ なくて、大型特殊自動車として一般国道を自力で走ってやって来たんですからね。
当時はよく戦車が自力で移動してました、それも群れを成して!(^◇^ ;) ほぇ〜
最近は見ることがなくなった、そんな光景です。

 M24といえば、当時の映画『 バルジ大作戦』に、アメリカ軍の戦車として、装甲が薄くて ドイツ軍役の M47 にまったく歯が立たずに、ほとんどやられ役で使われてました。
映画で壊され役で使われてるような戦車が、当時の自衛隊では、田舎の駐屯地とはいえ、 まだ第一線で使われていたわけで、日本の防衛は本当に大丈夫なのかなと子供心に 思ったものでした。(^-^;A

 で、実車を見て、その大きさにはけっこう驚きました。軽戦車でこんなに大きいのか! ・・・・って感じです、さすがに軽自動車とは違う!!!(~-~;)ヾ(-_-;)オイオイ
まあ小学生でしたから余計に大きく感じたのかもしれませんけど・・・、車両の上に 上がるのも大変でした。
車内に入れてもらって、砲身の中にらせん状の溝が切ってあるのを初めて知りました。 なんでも大砲の玉をまっすぐ飛ばすために、回転させて砲弾を打ち出すそうです。 (-_-)ゞ゛ウーム
実車を知るって事は、勉強になりますなぁ〜f(^^;) ポリポリ
まあそれまでは、プラモデルの世界で、タミヤの1/35シリーズにはなく、1/48の小さな M24しか知りませんでしたから、実車とのギャップは相当にあったように思います。
ちゃんと道路が走れるように、舗装面を傷めないようにキャタピラにゴムが貼って あるんですね、そんなことさえ、その時初めて知ったんですからね。
映画『 レマゲン鉄橋』の冒頭で、このM24が隊列を作って、高速で走りながら 戦車砲を撃ちまくってるシーンがありますが、戦車ってけっこう早く走れるんですよね。
おそらく50Km/hくらいの速度で走ってたんじゃないかと思えます。ソビエト映画 『ヨーロッパの開放』では、 T−34 が塹壕の段差を飛び越えるように走ってますし・・・。w(゜o゜)w わぉ

 第二次大戦中に開発された戦車ですが、日本の自衛隊では1952年から相当の期間使われていた 名車?のようです。昔は隣町の公園に1両展示されてましたが、最近になって撤去されたのか、 無くなってしまったのが残念でなりません。
子供の頃の自分にとっても、映画『モスラ』の中で出てきてたのが印象的でしたし、第一作の『ゴジラ』 では本物も出演してました。初期の怪獣映画には無くてはならない、そんな存在でしたが、 以後は映画の中の模型も、自衛隊での実車も、61式中戦車に入れ替わっていったようです。


2009.5.21 記


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