100%は・・・・無い!
人として生活していく中で、いろいろな決まり事や法律などというものも
あるけど、何をするにしても何を決めるにしても賛否をとれば、ヒトが十人十色で
それぞれのポリシーや生活等がある以上、100%の賛同を得られることは無く、
少なくても30%程度は反対意見を言うだろう。場合によっては真っ二つに
割れて5対5での拮抗した対立も有り得る、そんなときに民主主義の世界では
多数決で決めて、賛同票が一票でも多い方を採用として、意見が通らなかった
方達には申し訳ないが我慢・妥協をしてもらうのである。これが民主主義の原則
というもの。
SNSやネットの世界で、 アベガ―、コイケガ―って文句言ってる輩が多いけ
ど・・・・ 、大衆や民意に寄り添うのが政治家ではないですからね。
貴方達がおっしゃることに耳を貸さないから駄目だ!・・・・ってのは正しい
理論ではないのよ。
政事を行うってのは、その場、その時点での大衆の意見に賛同することではなく
て、今現在だけではなく、遠い将来も見据えて、あらゆるリスクを承知の上で、
清濁併せ呑むって言葉があるように、例え多くの人に嫌われることがあったと
しても、より多くの人々の生活を、安心、安全、安定な方向へ導いて進めるのが、
選挙によって多数決で選ばれた、彼らの役割ですからね。
つまり、民主主義とは最大公約数的意向の反映であって、けっして全員が平等に
なるものじゃありません。残念ながら少数意見は、練りに練った政策には反映
されない場合も多いのです。
それを少数だから切り捨てられたとか、差別だと主張するのは視点が違うという
お話、民主主義の世の中においては、すべての国民に平等に意見を述べる自由は
ありますが、全ての意見を満足していたら、多数決での決定事項そのものが成り
立たないのでございます。
例え悪法であっても決まったら従わなけれなならない、清濁併せ呑む覚悟は
持っていなければなりません、それを許せないというなら、それは単なる
わがままでしかないという事よね。
何を行うにしても賛同100%とならないのと同じく、それ相当のリスクが
生じます。そのリスクを許容できるかどうか、人間性が問われるわけですね。
メリットとディメリットを比較して、五分五分だったら進めても良いのかと
考えます、進めただけ進歩があるから!
ディメリットが気になって、いつになっても進めないなら、それは後退してるのと
同じ、時間経過とともに、やがてはすべてを失うことになるのでせう。
何をするにしても覚悟を決めてかからないとね、誰かの所為にして文句だけ言う
輩には成りたくないのであります。
2020.7.7 記
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