N家とのご縁が
N氏と初めて会ったのは、高校2年生になってからのクラス替えで偶然にも
同級生となった運命と、あいうえお順の席並び故に座席が近かったから、それから
なんとなく話が合うので家まで遊びに行くようになり・・・、市内の西の外れに
あるN氏の家、ご両親とお姉さんの4人家族で裕福に暮らしていた。
高校への通学は自転車でしたが、市内へ出るには距離的に遠いので、原付の
免許を取ったN氏は、スズキのバンバンという50ccのバイクを親に買って
もらって乗り回していた。
当時のN氏のイメージとしては、ちょっとキザなお兄さん風で、例えるなら
ドラえもんのスネ夫くんて感じ、小型の室内犬も飼っていて、バイクの籠に
乗せて出かけたこともあったような・・・・
高校生の時にわずか2年だけ一緒にいたわけだけど、他の同級生と同様に、
高校を卒業してお付き合いが終わりとはならなかったから不思議なのよね。
お互いに学生時代は行き来がなかったけど、そこにもいろいろな縁がいっぱい
隠されていたからミステリアス。
前様がよく家に遊びに来てた頃、ふと紹介したくなったのでN氏の家に連れて
行ったら・・・、まずN氏が、「なんであんたら二人が付き合ってるんだ!」と
驚き、N氏の母親と会った前様が、「なんで婦長がここに居るの!」と驚いて
た。
サークル活動や、高校の先輩S氏を通して、N氏と前様は知り合いだったので
ある、そして当時はフィアンセだった奥様のことも、前様は知っていた。さらに
職場の婦長さんがN氏の母親だったという奇跡的な偶然。
N氏いわく、「全くイメージが結びつかない二人がペアーになってやってきた」
だそうな、個人的にそれぞれは知ってるけど、全くの想定外の組み合わせ
だと言ってたよな。
友達の友達は友達であるから、不思議なご縁がどんどん広がっていく。
その後の前様との結婚式で実行委員長を務めたのがN氏である。
実家を出て県営の団地に住むにあたり、なかなか順番が回ってこないとされていた
書類申請後の認可も、当時の県税の所長でもあったN氏の親父さんの口利きで
さっさと進んですぐに入れることになったし・・・、その後は退職して趣味の
絵画や写真、書道を極めた芸術家の親父さんでもあったのだ。
と、ここまでが序章で、これからの関わり合いが凄くなっていくのよね。
お互いに子供が生まれて、事故の心配がなく空気が嫌いな場所でと始めた
山奥のバーベキュー大会、最初は3家族くらいだったのに、長年続けて行くうちに
30年が経過して、参加人数も50人を超えることがしばしば、今や子供たちが
中心になって執り行うようになってきたしぃ。
N氏の職業は塾の経営、奥様はピアノ教室の経営なので、当然のように我が家の
娘どんも両方習いに行ったし、息子どんは高校入試前に塾に通ってた。
そんな息子の塾通いも終わって高校へ進学したので、N氏とも縁が切れて行く
かなと思ったら、N氏は副業で中古自動車販売を始めたので、息子どんの通勤用の
中古車を購入したり、近所の友人にも紹介して新古車を世話してもらったり。
少子化で塾の経営が行き詰ってる中、副業の方が徐々に繁盛してる様子、N氏も
奥様もフェイスブックをはじめて頻繁に連絡を取るようになり、ふと焼き鳥が
食べたいとか言ってたので、とある機会に某やきとり店へN氏を連れていったら、
そこのお店のマスターの奥様、その親父さんがN氏の親父さんの非常に親しい
同僚さんだったと判明、あれこれ父親二人のエピソードを思い出して、大いに盛り
上がったりして・・・・
後日、N氏の親父さんが亡くなって4年目に開催された遺作展、夫婦してきて
くれたそうな・・・。
そして昨年、ウチのクソジジイも昇天したけど、今のご時世ゆえ葬式もまま
ならずに密葬で済ませ、香典代わりにと旧友F氏とN氏に飲みに誘われて
某やきとり店にいくも生憎、マスターが Go to ハスピトルで
休業中、ならばBプランで小・中学校の同級生が経営してる居酒屋に行くこと
にしたら・・・。その昔、子供が生まれたころ、N氏には親しい友人S氏が居て、
奥様がフランス人、そのご縁で家族でフランスに遊びに行ったり、娘さんを
一人でフランス旅行させたりしてたんだけど、居酒屋経営の未亡人となった
同級生、その旦那様である板前さんが生前にS氏やN氏と大いに遊んだ仲間
だった!
Bプランで当日行った居酒屋、元々老舗居酒屋の娘さんだった同級生が、老舗の
板前さんと結婚して新規にのれん分けのような形で開店したお店だったのでした。
その老舗にはN氏の親父さんも昔散々通ってたとか。
話がつながったところで携帯電話でフランスに電話して友人のS氏を呼び出し、
経営者である同級生と話をさせたN氏でありました。まさかの接近遭遇!
N氏の親父さん、写真も相当取ってたのよね、市内の同じ場所を定点で時間を
置いて撮影してたから、開発前の昔の地元の写真としても非常に価値のある
物になっていて、たまに市役所などで昔の市内の様子を紹介する写真展などで
使われる事も多々有って、市政100年の今年も何かしらの需要がありそう。
N氏が言うには毎月相当な額をカメラ屋さんにつぎ込んでいたとのこと。
先日、久しぶりにF氏夫婦、N氏夫婦と某やきとり屋さんに6人で行って、
些細な宴会してきたんだけど、N氏に親父さんが良く利用してたカメラ屋さんて
どこ?って尋ねたら、今は無き市内のOカメラ店だと・・・・、なんと某
やきとり屋さんの常連客が、そのOカメラ店の跡継ぎさんじゃないですか!
私と前様、前回に某やきとり屋さんに行ったときに店内で遭遇して名刺交換
して、eメールまでいただいているのであります。N氏の親父さんのことは
まだ後継ぎさんには尋ねてないけど、相当な大口の常連客であっただろうから、
絶対に知ってるよな〜と確信に満ち溢れてます。o(^∇^)o ワクワク
後日、その旨のメールをいれてみようかと・・・・。
2021.3. 1 記
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