情報過多
デジタル機器の技術進歩で、映像でも音楽でも軽薄短小で保存ができる時代、
場合によっては配信により、保存などもせずとも金さえ払えば好きなだけ鑑賞
出来てしまう。
勧誘電話等のうたい文句でも、映画が見放題、音楽が聴き放題とか、最近は
スマホの普及に伴いサブスクリプション、通称サブスクと呼ばれてるらしい?
あえて問いたい、それでいいのか・・・・・・と!?
人間、なんでも豊富にあってすぐに手に入ると、ハングリー精神をなくして
しまい、あきらめも早く、応用力もなくなり、人としてダメになってしまう
傾向にあると思う。
その昔、カメラ好きの合言葉でヒトダメレンズというのがあった、万能の
ズームレンズ1本、焦点距離が18mmから200mmまでで、それ1本で
すべてをカバーしてしまうから、写真の基本である近くによって撮影するとか、
最適な構図を考えて交換レンズを選ぶ必要がないので、便利だと便利だと
使って行くうちに、どんどんどんどん考えなくなり、動かなくなり、カメラマン
としてダメになって行くという懸念から出てきた言葉だったと思う。
サブスクなんてのも同じなんじゃない?
飽食の時代、なんでもかんでもすぐに手に入る。
すぐに手に入るからあきらめる、捨てるのも早い、また欲しいと強く望むことも
ない・・・・・・、ある意味『虚無』の世界にもつながってる。
いくら物があっても、それを使いこなす、楽しむ時間には制限がある。
時間の制限を超えるような情報の類、要らないんじゃないだろうかと思ふ。
モノが豊富すぎると、本当に必要なものが何だか判らなくなっていくような
気がする、あなたが今、本心から望んでるものは何?
そんな時代ゆえ、考える力がどんどん減ってるようにも思える。
スマホがなけりゃ生きていけないと思う人、多くないか?
電気が止まって、電波が通らなければスマホなんてクソの役にも立たないのよね。
大きな災害があって、そんな環境下に晒されたとき、スマホなくして対応でき
ますか?
スマホのない生活が一か月以上続くとしたら・・・・・
そんなシミュレーションも想定しておく必要、あるよね。?
ハングリーな時代、心から求めるものを入手するのは大変だった。
レコード1枚にしろ、シングル盤で¥400である。今の貨幣価値なら
¥4000だろうか?、たった1曲の楽曲で。
そんな時代だからFM放送なども『エアチェック』(死後)して、何度も何度も
聴いてきた。今の時代、同じ曲を何度も聴くようなことはあるのか?
人間、飽食よりも飢餓の方が耐性が強いらしい。
現代病はみんな、そんな飽食からも来ている。
体の次は心、情報の飽食に侵されていくのだろうか・・・・・・・?
2020.1.27 記
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