1994
もう12年も前のことになりますが・・・・
春先には長女が家の近所で車に跳ねられ・・・、6月には療養中の母親が逝去、
幼馴染の友人も脳梗塞で入院と、ドタバタしていた時期があり、自分も左肩脱臼と
左足大腿骨複雑骨折して、夏場の暑い時期、母親の四十九日の法要にも出られずに
彼女が息を引き取った隣町の病院へ、救急車で担ぎこまれて緊急入院となりました。
とりあえず怪我は完治はしましたが、
後遺症として左足が15mmほど短くなって、歩くことと、座敷であぐらをかいて
座ることが苦手となっちゃいました。(~_~;)
お仕事中の事故なので労災扱いでそれなりの給料はもらえましたが、4回の手術を体験
し、延べ1年くらいの病院生活を強いられました。
さすがに病院だけあって、重症部屋にいる時は朦朧とした意識の中に
魑魅魍魎を感じたり、ナイトメアも体験・・・・(>_<)。12年大事に飼っていた猫が
老衰により自宅で息を引き取り、夜中、入院中の自分へ別れを告げに
来たのもわかったので、翌朝やってきた前様からその旨の話を聞く前に
言い当ててました。(((ToT)†
整形外科部長医師による回診での処置や言動、手術室の予約忘れによる
手術直前での延期、どう考えても医療ミスによるとしか思えないような抜釘後の再骨折、
入院前は正常だった肝臓のGOT,GPT指数の悪化と、権威ある医者も人の子、常に
客観的で正しいとは限らないことを身をもって十分に体感し、以後の、自分の意思に
よる決断での自己責任行動と、道楽道の邁進に役に立ってます。
辛いこと、苦しいことも沢山ありましたが、それ以上に入院生活をエンジョイ
してたような気もします。
入院中に知り合った、誕生日が3日だけ違うK氏と意気投合し、病室の壁で
液晶プロジェクターを使って皆で映画を観て、翌朝は釣り上がったメガネの
看護士長軍団にこってりと・・・・・ウラァ ((/--)/。。。((><)
ヒィィ・・・・
朝は手動のコーヒーミルで豆を挽いて飲んだり・・・・
なぜかベッドの脇にMartin D−35があって、左肩脱臼のリハビリと称して弾いてたり・・・
かの映画 『病院へ行こう』 をそのまま地で行くような患者経験でした。(^^;)ゞ
イヤー
尚、K氏(社長)には現在もサーバーの関係でお世話になってます。m(_ _)m
入院するちょっと前にパワーアンプP−550を購入して、いくらも聴かないうちに隔離されて
しまいましたが、生命保険から入院保障が出るというので、翌年そのお金で日本の
大衆車とTANNOYのSTIRLINGを購入 (^^ゞ
一歩間違ってれば死んでいた、あるいは半身不随で寝たきりになっていたのかもしれません。
幸いなことに通常の生活が営めるように回復できましたし、まずは生きていましたので、あとは
楽しむしかないじゃありませんか。
つ〜ことで、暴走は続く!!!(~-~;)ヾ(-_-;) オイオイ
2006.9.1 記
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