マニュアルって


 世の中にはマニュアルが好きな人が多いようです。
なんでもかんでもマニュアルにしておきたいみたい。
昔のディズニーアニメ、『ケイシー・ジョーンズ』では、そこにスポットを当てて、 「マニュアルを守るためのマニュアルまである・・・・・」なんて揶揄してパロディに してました。
基本的にマニュアルというものは、同じことを繰り返すルーチンワークの中で 成り立つものなんですけど・・・、マニュアル好きな方は、世の中にはマニュアルに ならないことは無いって思い込まれてるようで、それを理解できてないみたいです。

 マニュアルなんてものは、突き詰めれば音楽における楽譜表現と一緒で、どんなに 詳細に言語で表現したところで、それを読む・聞く側の理解や感覚で受け取り方が変わるし、 結局は千差万別の伝わり方になってしまうんです。
オンとオフのデジタルだけなら良いのですが、アナログ的な要素が多ければ多いほど、 枝分け要素が増えれば増えるほど、見やすくて規格化された書面とはなりにくく、 場合によっては分厚い百科事典みたいなものになってしまいます。
まあそんなところから、少しくらいいい加減でも目標を達成すべく、ファジィ理論なんて 発想も出てきたんでしょうね。

 もし、『匠の技』をマニュアルとして書けたところで、その内容を読んで、誰でも『匠の技』を 再現できるものではありません。人としての個々の技量が違うんだから当然ですよね。
また、マニュアルがあって、それを遵守することですべての仕事が片付くなら、それは過去の事例を 反復してるに過ぎません、それゆに仕事としての拡大や発展は見えてこないでしょう、マニュアル 通りに処理できる事には発展性は有り得ず、仕事としてはその時点でもうすでにゆっくりとした 下降線でしかないはずです。
なにしろ、まだやってないこと、これから起こりうるであろう事は、マニュアルには書き様が ありませんからね。

 たしかにマニュアルってのは便利なもの、それを守っていれば一定水準のことは 対応できるのですから・・・、一般的にはオール4の優等生くらいにはなれるのでしょう。
しかしながら、マニュアルに書かれて無いことが発生したときに、マニュアルにばかり 頼ってきた人達は、多くの場合でパニックとなってしまいます。
マニュアルに頼り過ぎていて、自分で考えることを忘れているんですよね。
接客においても、マニュアル通りの対応では何か心が通ってなくて・・・・・、 あくまでも完全遵守じゃなくて、ガイドラインに留めるべきものだと思います。

 個人的には、マニュアルなんて大嫌いです。
だってこの瞬間を、今を生きてるんですから、もうすでに過去のものである マニュアルには縛れたくはないです。


2009.8.7 記


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