第三者の眼


 長期連載コミック『ゴルゴ13』にありましたが、客観的な 第三者の立場から見てるかのように、自分の行動を分析して、 次の対処を施せるかですね。
アイドルやスターであったり、ストーカーされてる訳じゃないなら、 他人は、自分が思うほど自分のことは気にしていません、細かい ところはどうでも良いのです。もし気になるところが見つかれば、 気が向けば何かしらのメッセージを送ってくれるくらいでしょう。
他人の眼が気になって仕方ない方は、自意識過剰と言います。
さらにナルシストまで加わってると、他人の眼が気になって気になって、 屁理屈で固めた理由を点けて、自己正当化に走ったりして大変です。
現在のネット社会、そんな方が自己の情報発信として利用されてる ブログ等に当たると、「ねばならない」表現がやたらと多くて、 何かしらの理由付けがなされているから、自分は正しく行動してるみたいな 書き方が目に入りますが、冷静かつ客観的に考えてみれば、それは まったく意味のない自己都合の理由付けだったりして。
本人がそれに気づいてないだけ〜。
自分にとって好きだから○、嫌いだから×って、直感的に素直なパターン じゃ無いのですよね。第三者は誰も理由なんて求めてないのに・・・・・、 ご苦労なことでございます。


 まあ、そんな次元の低いお話は前振りだけにして・・・・・(゜O゜) ヾ(-_-;) オイオイ


 根本的に日本人て、第三者の眼を気にし過ぎでしょうか?
出る杭は打たれるとか、他人が良いという事には従え、悪いと 言われてることはするな、波風を立てるな、大衆の中では目立たぬ ように、大勢の側に迎合・調和して、そのような場では個人の意見を 述べないことを教え込まれてきました。
そんな戦後教育が長い事続いたものだから、隣国と仲良くするには、 彼らの言い分に面と向かって反論することはせず、意見の相違から 争いを起こすことなく、もし謝罪を要求されたら謝っておいて、 玉虫色にしておけば済むと、思い込まされてしまっていたのでしょう。
日本人的な謙虚な気持ちが受け入れられると錯覚してた・・・・今更に なっても錯覚してる連中は多い・・・・・・のでしょうね。

 国際的な交渉感覚では、意見を100述べて、その中から60〜70 理解してもらえれば上出来であると思えます。ですから、そんな場の中で、 『日本人的美徳から意見を控える』を選択してしまったら、国際的には、 『意見を言わないのは、意見が無いからであり、すべてこちらの 要望に賛同するものである』と取られれてしまうでしょう。
「話せばわかる」は、話し合って相手と認識を一致させることではなく、 お互いの意見の違いを認識できることである!・・・・と、理解しなければ なりません。
日本人としての対応で世界に向かっていくのには、自身の視点から だけではなく、それこそ世界レベルの第三者の眼で、隣国や世界を 観て、意見を堂々と述べて話を進めなければなりません。
隣国を刺激しないように意見を控えるというのは誤りであり、実際に 意見を控えてしまったら、隣国からの戦術にはめられていると認識 すべきですよね。
世界的第三者の立場から自身を見つめながら、主張すべきは主張 しないと・・・。
見せかけの平和を維持しようとしてると、すべて失っていきそうです。
守るべきは守る、争いが起ころうと、犠牲が出ようと、毅然たる態度は 必要だと思います。
世界のすべてが善人ではありません、むしろ盗賊の類の方が多いと 考えねばならないでしょう、世界の歴史を見てもね。
平和ボケしてると、理不尽に大事なものを失ってしまいそうです。


2013.6.11 記


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