1975年つま恋


 1975年の6月に、1974年に製造されたGuildの D50という機種を、アルバイトで貯めたお金で購入しました。
それから2か月後の8月、タイトルのライブコンサートが開催された のです。
当時一緒に活動してたバンドメンバー3人、そのファンであった女子 高校生3人と、地元のフォーク村の村長さん1人を足した合計7名で 静岡県のつま恋まで出かけました。
メンバーの年齢、20歳が1人に19歳が3人、女子高校生は17歳 だったでしょうか、現在だったら地方の条例に引っ掛かりますね。
なんでこのメンバー構成で行ったのか?、もう38年も前の話なので 記憶の彼方へ消え去ってますが、行くことの許可がもらえない 女子高生の親を説得したのだけは記憶に残ってます。
電車に乗ってから、T氏がメンバー分の入場チケットを持参するのを忘れた なんてトラブルも発覚しましたが、予定より数時間遅れで到着でき、 真ん中よりやや後方の位置に陣取って、翌朝まで伝説のライブを 堪能いたしました。

そんな大昔の映像がDVDになって発売され、あらためて観てみると ・・・・・
 南こうせつさんのギター、1973年製のGuild D50を よく見ると、自分が購入した1974年製と比べて、ピックガードの 貼り付け方が微妙に違います。自分が所有してるものは、サウンド ホールを中心として反時計回りにちょっとだけ回転して貼り付けて ありますね、入手して38年目にしてやっとその違いを知りました。
そして、かぐや姫での最初のステージ、『あの人の手紙』の1コーラス を歌い終わった後に、ステージからGuild D50を 放り投げてます。「(≧ロ≦) アイヤー
が、かぐや姫でのセカンドステージで、またそのGuildを 使ってるじゃありませんか、放り投げても壊れなかったのね。
たしか南こうせつさん、ファーストステージで『マキシーのために』を 歌った時にもギターを放り投げてた記憶があるのですが、あれは ヤマハだったでしょうか?
ファーストアルバム『かえり道』の歌詞カードに見られるヤマハの特注 モデル、以後のソロ活動でも登場することはありませんから、 その時に壊れちゃったんでしょうかねぇ。

 38年前の映像を今になって見直してみると、高度成長期という 時代の影響か、現代と違って何もかもパワフルです。
デジタル機器なんてものは何もなくて、アコースティック・ギターの ピックアップはバーカスベリーと、PAだって現在とは雲泥の差が あったと思えます。休憩があるとはいえ、オールナイトのライブでしたし、 途中寝てしまって覚えてない部分があるのも確かです。
1人で3ステージを歌いきった吉田拓郎さん、元気でした。
数年前に同じ場所で同じ出演者にて開催されたDVD映像もありますが、 比較すると、緊張感やパワーが、75年当時の方が桁違いに勝ってます。もちろん 音響的な秀逸さとしては数年前のつま恋のステージの方が上ですが、 出演者もお客さんもそれだけ歳を取ってるってことなのでしょうね。
75年のライブで最後の『人間なんて』が終了して、場内の アナウンスは『移動せずに、その場で寝ていてください』でしたが、 やがて陽射しが強くなってくると、『起きて移動してください』に 代わりました。
帰りの新幹線の混雑を予想して、掛川から一旦浜松まで下り、 そこで上りの新幹線に乗って座って帰ってきたのも覚えてます。
一緒に行ったメンバー、今はもう誰とも連絡をとってません。 生きてるのかな? それだけ古い時代の、熱い出来事だった・・・・って、 事ですかねぇ。


2013.9.24 記


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